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2015年4月21日火曜日
【 事例研究: 他府県における公立高校の統廃合 】
大阪府立高槻南高等学校のケース。
この学校は中堅上位の優良校で2000年度の中退率は0.1%以下と大阪府下で最小でした。また、部活動も活発で体育系は大阪府の公立高校でトップクラスに位置していました。特に、軟式野球部やサッカー部は顕著な実績を上げており、私立の強豪校がひしめく大阪府にあって、公立ながら全国大会に出場するなどしていました。
さらに、国際交流もPTAと一体になって取り組み、大阪府下でも先進的でした。
ところが、2001年になって大阪府の高校再編成計画に基づいて統廃合の対象となり、反対運動が大きく広がります。
反対運動は訴訟にまで至りますが廃校の決定を覆すには至らず、2005年3月、最後の卒業生を送り出して廃校。
以下、高槻南高校が廃校に至る経緯をまとめてみました。
2001年8月30日、大阪府教育委員会は、大阪府立高槻南高校と同府立島上(しまかみ)高校との統合、両校を廃校とし新校を設置する高校改革案を発表しました。
これを受け、高槻南高校では、廃校反対の声が高まります。
廃校反対運動は生徒会を中心にPTA、教職員の他、多数の高槻市民にも広がり、わずか2ヵ月半で16万人を越える廃校反対の署名が集ったそうです(当時の高槻市人口は約40万人)。
とりわけ同校の生徒らは、生徒会を中心に、放課後に駅前で廃校反対の署名を自主的に集めたり、大阪府教育委員会に対して廃校反対の請願をおこなうなど、懸命に廃校反対の運動を行いました。
しかしながら、廃校の方針が覆る事はありませんでした(2001年11月16日の府教育委員会議で廃校案を正式決定)。
そこで、PTA 役員と学校内外の教職員を中心に「高槻南高校の存続と発展」を目標に「高南応援団」が結成されます。
2002年1 月10 日、34名の保護者の賛同を得て行政不服審査法に基づき、廃校(募集停止)処分の取り消しの申し立てがなされました。
2002年2月22日、不適法であるとして上記の申立て却下。
2002年10月24日、高槻南高の生徒527名が大阪弁護士会へ人権救済申し立て(2004年3月29日、大阪弁護士会長名で要望書が府教委などに送付される。同要望書は生徒が請求する「人権侵害」の認定は行なわなかった)。
2002年12月までに、高南応援団は市議会への要請や府議会への請願を行なうと共に、府教育委員会への高校改革関係の行政文書の情報公開請求、同委員会への公開質問状の提出などの取り組みを実施(上記情報公開請求に対し府教委は非公開の決定)。
2002年12月、大阪府議会は高槻南高校を廃校とする条例改正を決議。
2003年3月28日、高槻南高の関係者(原告59名、121名の共同親権者の署名賛同)は、大阪地裁に大阪府と府知事を相手どって、廃校の取り消しと損害賠償等を求めて訴え提起。
提訴以来1年半に渡り、8人の常任弁護士を中心に総勢29名の弁護士が原告側で訴訟に関与。公判は8回に及び、原告となった高槻南高の生徒やOBも法廷に立つことになりました。この間、大阪地裁への請願署名も行なわれ、1万名の署名を集めました。
2004年9月10日判決。結果は、原告の訴えを全面的に退けるものでした。
判決の要旨は、概略、以下の通りです。
① 公立高校の統廃合を含む大阪府の方針と計画は、教育基本法の理念や学校教育法の趣旨等に反する不合理なものであるということはできない。
② 平成15年以降、高槻南高校に在校する子ども(2、3年生)は学科教育に止まらず、クラブ活動・学校行事等の場面で少なからぬ不利益を蒙ってはいるが、種々の手当をしており、格別の支障が生じている様子は証拠上うかがわれない。
③ 子どもの権利条約第12条は、個別の施策の決定の場面において生徒らの意見表明等の手続的権利を具体的権利として保障したものではない。
原告は控訴を断念し、判決は確定しました。
高槻南高校のケースは、類似事例が他にないことから、地裁判決とはいえ重要な先行判例と言えます。
ここで司法が示した上記の判断①~③は規範的意義を有すると言えるでしょう。
高槻南高大阪地裁判決は、滋賀県における統合問題を考えるにあたっても無視できない事案だと思います。
結果的に、2005年3月、高槻南高校は廃校になりました。
なお、廃校に先立つ2003年、大阪府立高槻南高等学校は大阪府立島上(しまかみ)高等学校と統合され、大阪府立槻の木高等学校が開校します。
高槻南高と島上高校は2003年度以降の新入生の募集を停止、後身の槻の木高等学校には、旧・島上高等学校の校舎及び敷地が引き継がれました。
その後、高槻南高校の校舎がどうなったかですが、大阪府下の公立高校の中でも屈指の大きさだったグラウンドが開放されるなど、廃校後も地域住民らによって利用されました。
また、廃校後の校舎は映画撮影の舞台にもなります。2007年3月から5月にかけて、映画『クローズZERO』(同年公開)の撮影が行われています。他にも、『ゲゲゲの鬼太郎』や『初雪の恋 ヴァージン・スノー』、『僕の彼女はサイボーグ』等のロケ地にもなったそうです。
このように廃校後もなおしばらくは使われた高槻南高校の校舎でしたが、2008年3月31日をもって大阪府から売却され、住宅地としての再開発が決定。同年8月末から本格的な施設の解体工事が始まります。
9月には体育館が完全に取り壊され、12月には総ての建造物の解体が終了。
そして、2009年~13年にかけて全223戸の大住宅地が完成して今に至ります。
以上、参考までに高槻南高校が廃校に至る経緯をまとめてみました。
全国的に少子化の影響は深刻で、各地で学校が次々とつぶれています。
統合して新しい学校ができるのならまだしも、完全に消滅する学校も少なくありません。
この先、少子化は更に進みます(2018年ショック)。今後、さらに、第2次、第3次の公立高校再編が起きるかも知れない。その際には、「統合」ではなく「廃校」、即ち完全消滅する学校もあるかも知れない。
統合問題にゆれた母校、長浜北高校ですが、その根本にある少子化問題は、統廃合の対象になった学校の関係者のみならず、地域社会を掘り崩し、いずれ遠からず国家の土台をも揺るがす大きな問題です。今や、国家的惨事が刻一刻と進行しているわけです。
出産優遇策、マタニティハラスメント企業への指導、待機児童の解消、若年非正規雇用の逓減策など政府のみならず自治体も早急な対応を講じるべきです。
そして、私たちも強い声を上げなければならない、改めて、そう思います。
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