2015年11月1日日曜日

長浜統合新校の校歌・校章案


本年(2015年)3月、滋賀県議会は長浜統合新校の校名を「長浜北」とすることを含む県立高校再編に関する条例改正案を可決しました。その後、長浜統合新校設置懇話会が再開されたものの、統合新校の校歌と校章をめぐって紛糾し、早くも中断。以後、同懇話会は一度も再開されないまま現在に至っています。


長浜統合新校の開設は来年(2016年)4月に迫っており、わずかに残り5か月の期間しかありません。このままでは、来年の統合新校開校に当たり、生徒諸君は歌うべき校歌もなく、仰ぐべき校章もないという状態での開校となりかねません。将来的に中高一貫化も見据えた地域社会の人材育成と高等学校教育の中核となるべき長浜統合新校がはじめからこのような有様では、長浜高校及び長浜北高の在学生諸君、さらには、希望を持って入学してくるであろう新入生諸君に対して、誠に面目ないと言う他ありません。


統合新校の校名については、県教育委員会が広く一般に校名案についてのアンケートを実施したことがありました。これは、あくまでもアンケートであって、校名を決定するプロセスにおける参考意見という位置づけでした。同様に、統合新校の校歌と校章案についてのアンケートまたは公募があるかは不明ですが、新校開設に向けた動きが再開されることへの願いを込めて、懸案の校歌・校章について、以下、私案を提示したいと思います。






長浜統合新校の校歌及び校章についての私案



1.校歌について


私案: 現在の長浜高校の校歌を長浜統合新校の校歌として、引き続き用いる。


理由: 長浜高校の校歌は「緑ゆたけき長浜の 古き歴史に 名をとどむ 平方庄の 学び舎の...」と校地(長浜市平方町)の地名を歌詞に織り込んでいる。この校歌は「平方」の校地が、古くは平安朝にも遡る由緒正しい土地柄であることを教えるとともに、中世に一帯を領した名門豪族下坂氏、並びに近江申楽上三座のうちの1つ下坂座との縁を持つことをも想起させるものである。統合新校は、現在の長浜北高の校地に仮移転した後、平方町の現長浜高校校地に校舎を新増築する予定である。統合新校の校地が歴史的かつ文化的に豊かな土壌に根ざしている事を歌うこの校歌こそは、長浜統合新校の校歌としてまさしくふさわしいものであると言えよう。

長浜高校校歌はこちら



2.校章について


私案: 現在の長浜北高の校章を長浜統合新校の校章として引き続き用いる。


理由: 現在の長浜北高も長浜高校も、その校章に長浜興隆の恩人である秀吉公の家紋「桐」を意匠化したものを採用している。長高、北高いずれの校章も美しく独創に富むものであるが、長浜北高のそれは桐の葉を三角形に組みあせた中に「高」の字をあしらい、その構成の妙は県下各校の校章に抜きん出たものであるように思う。さらに、北高の校章における桐の葉の図案は適度な抽象化と写実のバランスがすばらしく、昭和27年/1952年の発表以来半世紀を経るも、全く古さを感じさせない。この校章こそは、長浜統合新校が発展してゆく未来においてもなお斬新さを失わず、学校のシンボルとして機能しうるものであり、新校の校章としてふさわしいものであると考える。

長浜北高校章はこちらから確認できます。



--------------------------------------------------------------------------------



今春、長浜統合新校の校名を「長浜北」として県議会に推薦することを決するに当り、県教育委員会は「長浜北」の校名には「長浜」と「長浜北」、両校の校名が息づいていると説明しています。まさにその言うとおり、統合新校には現長浜高校と現長浜北高の両校が息づきつつ、両校が引き続き存続してゆくものとして設立されるのです。長浜統合新校は、現長浜高校であるとともに、現長浜北高でもある。長浜高校も長浜北高も滅びはせず、長浜統合新校たる長浜北高として、引き続き続いてゆくのです。


であればこそ、長浜統合新校は現長浜高校と現長浜北高を構成している「何か」を最大限継承しなければならないと思います。
それは、何よりもまず、両校の歴史であるとともに、学校創立の精神に他ならない。ゆえに、学校創立の精神を体現する校歌と校章もまた、長浜統合新校に引き継がれねばならない、そう思います。2つの学校が1つになる以上、校歌と校章を1つにせねばならないのであれば、両校譲り合いつつ、どちらかのものを引き続き使うようにすべきだと思います。それこそ、長浜高校と長浜北高の両校が息づく長浜統合新校たる長浜北高のあるべき姿ではないでしょうか?


しかしながら、一部の方々には根本的な誤解があるように見受けられます。その方々は言われる、「長高も北高もともに無くなり、全く新しい別の学校ができる」と。そして、「かつて、長浜北高の統廃合反対運動を終えるに際し、長浜北高同窓会と長浜高校同窓会は『両校ともに消滅する。新しい学校のために協力しよう』と申し合わせた」とおっしゃる。
しかし、きっぱりと、こう言わなければなりません、「長浜統合新校について、そのような捉え方は間違っている」と。


長浜高校も長浜北高も消滅するわけではないのです。全く新しい別の学校などできるわけがない。校地は移り、校舎は新しくなり、便宜的に「新」長浜北高と呼称することはあっても、それは、全く新しい別の学校などではなく、長高と北高がともに存続し続けるものとしての統合新校長浜北高なのです。数年前に一部のメンバーが取り交わした申し合わせなど、両校の歴史の厚みと現時点において両校が持っている存在感を考えるならば、何ほどの意味があるでしょう。


本年3月の県議会決議を前に、長浜高校同窓会の方々は、長浜高校の歴史と現在を否定されるかもしれないという危機感に突き動かされて、昂然と立ち上がり、全力を尽くして抵抗された。その勇気と信念は敬意に値するものです。その信念とは、自分たちが青春時代を過ごした学校の歴史が無になることがあってはならないという強い思いです。その思いは私たち長浜北高の卒業生も同じ。そして、私たちは、私たちの学校が「まったく無くなって、別の学校ができる」など言う事を認めることはできない。数年前の統廃合反対運動での尽力に対する感謝の念は変わりませんが、そんなことを言っている人たちには「No」と言わなければならない。


重ねて申し上げます。長高も北高も消えてなくなるのではないのです。両校ともに滅びません。長浜統合新校は別の学校ではない。長高と北高は長浜統合新校として、両校の歴史を継承しつつ、未来に向けて存続し、さらに発展してゆくのです。
だからこそ、長浜高校と長浜北高、2つの学校を形成している要素が1つでも多く統合新校に引き継がれねばならないのです。それらに仮託された精神とともに。たとえば、先人の思いと創立の精神のこもった校歌と校章。だから、長浜統合新校の校歌は現長浜高校の校歌、校章は現長浜北高の校章、そういう形での結合が合ってもいい。いや、そうあるべきです。


私たちの学校が「全く無くなって、別の学校ができる」というのは、ある意味、安直な捉え方であり、安易な解決方法であるとも言えます。「別の新しい学校」だから、すべて新しいものを採用すればいいわけだから、意見は割れない。調整で頭を悩ますことにはならない。しかし、そんな安易なやり方でいいのでしょうか?ともに実績のある2つの学校が1つになるわけだから、様々な困難や問題があるのは当然なのです。それを乗り越えなければならない。それは、厳しく、また、時間もかかることだろうけれど、そうして費やした労苦が、大きな意義を持つ。


さしたる価値のないものについてのこだわりは無益でしょうが、大切なものは何としても守らなければならない。価値あるものはあくまでも追い求めなければならない。長高と北高、その歴史と実績、いずれも価値のあるものです。たやすく、あきらめていいようなものではない。こだわり、悩み、時間を費やす価値があるものだと思います。
そして、苦しみつつ産み出されたものは力強く成長する。長浜統合新校の統合過程がスムーズに行かないのは、誰もがこの問題を真剣に考えているからなのです。その真剣さ、そのこだわり、執念、固執、困難と苦労こそは、長浜統合新校が将来発展するにあたっての豊かな土壌となるに違いありません。


最後に、長浜高校と長浜北高、両校の同窓会の統合についても提言したいと思います。ともに、地域社会を担う優れた人材を執行部に置く両校同窓会(桐友会と桐映会)は、力を合わせて長浜統合新校を支えてゆくべきです。名簿の発行は同窓会の重要な役目だけれど、無粋なのぞき見趣味を満たすために名簿があるのではない。両校あわせて、2万を優に越える会員卒業生の連携と交流を促し、全員の成功の一助となるのが同窓会の望ましい姿だと思います。そうすることでまた、学校を力強く支えることもできる。古い楽器やすりきれたマットを更新する援助もできる。さらに、同じ学校の同窓生という豊かな絆は、地域社会発展の重要な礎のひとつとなることでしょう。
私たちの愛する高校と美しい郷土がさらに発展してゆくためにも、長浜高校と長浜北高の統合存続が成功し、両校の同窓会が一体となって活動することを心より願ってやみません。
以上





0 件のコメント:

コメントを投稿

ご意見・ご指摘お待ちしております。