滋賀県立長浜北高等学校を応援するページです。 このページが北高OB/OGの結束強化と連携の一助になれば幸いです。 Webpages for Statement & Communiqué
2015年1月21日水曜日
滋賀夕刊投稿への反論 (長浜統合新校の校名をめぐって)
ここ数日、滋賀夕刊に長浜統合新校に関する複数の投書が寄せられ、滋賀夕刊はそれらを随時紙面に掲載しています。
問題の投書は以下1~3。これらに対して、反論します。
1.滋賀夕刊 2015年01月13日付け紙面に掲載された投書
統合新校の校名が難航しているようです。一生懸命考えて頂くのも結構ですが、まったく無関係の私の立場からみると、いささか温故知新にこだわり過ぎかと思われます。
これから学ぶ頭の柔らかい青少年達が親しみ易く、素直に納得のゆく校名であること、単に多数決でなく少年達の気持ちになって決めてやってください。岡目八目の諺があります。大人のエゴにこだわり過ぎないようお願いします。
⇒ 全くその通りです。ただし、滋賀県教育委員会の決定は多数決によるものではありません。県教委のパブリックコメントで、統合新校の公募校名案として「長浜北」が多数であったことについての言及はあるものの、それをもって新校の校名を選択したわけではないことは県教委が再三明言しているところです。同様に長浜統合新校設置懇話会の5回にわたる校名についての審議を踏まえた結論も出席者の多数決によるものではありません。
「大人のエゴ」という御指摘もまさに的を得たものと思います。適正手続を経た決定に対し、その手続を尊重しなかった当事者が今になってゴネている。この投稿者さんの言う「大人のエゴにこだわり過ぎないように」と言う言葉をよく噛み締めてもらいたいものです。
2.滋賀夕刊 2015年01月13日付け紙面に掲載された投書
旧校名は除外を
私は○○高校出身ですが、今回の新校の校名選定についてやり方がフェアでなく、大変怒りを覚えます。旧校名を選択肢に含めてはいけない。それは数優先の論理から言えば、古い歴史を持つ方が圧倒的に有利だからです。長浜北への決定は「吸収合併」と同じ。「旧名」にしたのなら長浜北高のみが「昔からずっとあった」ということになり、消滅したもう一方は完全否定、永久埋没といえ悲しいことです。
行政実務上の「合併」は優先すべきかも知れませんが新校名は「心の古里」的な問題で性質が異なります。両校の関係者に禍根を残さない形で、新校がスタートすることを望みます。
⇒ この人も根本的に誤解しています。長浜統合新校設置懇話会における「校名」案の決定に際し、県教育委は、多数決原理を採ってはいません。1の投稿について書いた通り、数の論理というのはもとより関係ないのです。また、「長浜北」の校名を「旧名」と断じていますがこれも、県教育委員会の決定理由を読めばそうではないことがわかります。長浜統合新校の校名を選ぶに当たり、滋賀県教育委員会は、「長浜北」と「長浜」の両校の校名が息づいている名称として「長浜北」を選んでいる。この校名は旧校名をそのまま踏襲したものではなく、新しい学校にまさにふさわしい校名として熟慮の上、選ばれたものです。ここで、「長浜北」という校名は、方位を越えた「新たな意味」を与えられた上で提示されているわけです。
県教委が選択した「長浜北」の校名は、長高の「長浜」でもある。長浜高校が永久埋没ということにはなりません。統合新校は、北高の歴史と長高の歴史、その2つの歴史の流れが合流した大河となって未来という大海へ続いてゆくのです。
3.滋賀夕刊 2015年01月20日付け紙面に掲載された投書
長浜北高の卒業生のひとりとして意見を述べたいと思います。
まず理解に苦しむのは広域化した長浜市の最南端に位置する新高校の名称に、なぜ「北」を付けるのかということです。北高ができた昭和27年当時、旧長浜市内には西高があり、南高があり、従って一番北に位置する高校の名称が北高になったのです。北高になる以前、本校の名称は「長浜高等学校」でした。その以前は「長浜高等女学校」です。北高の名称以前から校名は変遷を重ねているのです。
大事なことは名称ではありません。その中身です。新校名は「長浜高校」で、すっきりしていいではありませんか。それは北高になる前の校名でもあります。統合後の新高校の伝統は、これからこの学校で学ぶ生徒諸君と先生方が、数年、数十年かけて築き上げるものです。私を含めた年寄りの卒業生が、ノスタルジーから校名を残せと騒ぎ立てるのはやめようではありませんか。
⇒ まさに正論です。論旨も明快で説得力があります。しかし、県教委が長浜統合校名の校名として選択した「長浜北」という名称は、地理的位置を表わすというよりも、長浜高校の「長浜」と長浜北高の「長浜北」が結合したものであり、両校の統合と融和を表わす一種象徴的な記号として、新たに意味づけされているということを再度強調したいと思います。
また、大局から言えば、すでに、個々の校名案について議論する段階は通り過ぎています。新校の校名を議論するために、滋賀県教育委員会は、過去1年間に5回に及ぶ懇話会の場を設けたのです。今になって「長浜北」の校名を否定すれば、釈然としない北高関係者も出てくることでしょう。結果、無限に問題が連鎖(ループ)しかねません。
そもそも、問題解決と実行が政策担当者である教育委員会の役割なのです。そして、政策実行に当って重要なのは、法的手続き、即ち、適正手続(デュープロセス)に他なりません。滋賀県教育委員会はまさに、デュープロセスにしたがって校名案を「長浜北」と決定したのです。その正当性には非の打ち所がない。さらに、その間に投じられた行政コストと時間、その重みも無視できない。
来月から始まる県議会についても同じ事が言えます。県教委が適正手続を踏まえて選んだ統合新校の校名案について、告知と聴聞の機会は十分に設けられていました。ここで、仮に、県議会が県教委の決定を退けるならば、それは、これまでの適正手続きを否定することであり、我が県会は近代の法治主義を否定した前近代のレベルに退行してしまったということになるでしょう。
滋賀県教育委員会ならびに滋賀県は、どこに出しても恥ずかしくない立派な行政運営をされておられる。今後、問われるのは滋賀県議会の立法府としての鼎の軽重なのです。
以上、長浜統合新校の校名をめぐって、滋賀夕刊が掲載した投書とこれらに対する反論を行いました。
行政の原点は法治主義であり、行政の基本は適正手続に他なりません。長浜統合新校の校名問題では、まさに、わたしたちの社会のあり方の原点と基本が問われているのです。
2015年1月18日日曜日
卒業年次総覧
2016年4月1日、長浜高校と長浜北高が統合し、統合新校としての『 滋賀県立長浜北高等学校 』が発足します。
同年4月1日に入学する生徒達は、統合新校として初の新入生。
そして、2017年3月には、新校としての最初の卒業生を送り出すことになります。
新校としては初の卒業生ですが、彼ら彼女らは、1世紀を超える母校の歴史の中にしっかりと位置づけられねばなりません。
そこで、1911年から2017年までの卒業生(見込・予定を含む)の一覧を作成しました。
改めて一覧にしてみると、我が校史の長さと厚みに圧倒される思いです。
深い感動を覚えました。
改めて!
100年を超す母校の歴史を、未来へ!
同年4月1日に入学する生徒達は、統合新校として初の新入生。
そして、2017年3月には、新校としての最初の卒業生を送り出すことになります。
新校としては初の卒業生ですが、彼ら彼女らは、1世紀を超える母校の歴史の中にしっかりと位置づけられねばなりません。
そこで、1911年から2017年までの卒業生(見込・予定を含む)の一覧を作成しました。
改めて一覧にしてみると、我が校史の長さと厚みに圧倒される思いです。
深い感動を覚えました。
改めて!
100年を超す母校の歴史を、未来へ!
2015年1月9日金曜日
母校の呼び声 Kitakou Calling
昭和2年(1927年)3月に母校をご卒業された大先輩が校友会誌に寄稿されたエッセイをリライトしてみました。
「...私の大切な学び舎である。早く来いと呼んでいるように思える...」
読み返すたびに心に響きます。
人は否応なく老いてゆくけれど、心のこもった言葉は永遠にみずみずしく、何年たっても古くはならないということがわかります。
1927年の卒業生が感じた母校への思い、それが88年の時を超えて今に伝わり、2015年の私たちの心に響く。これこそ、母校長浜北高の伝統の力です。
さらに未来へ、母校の歴史と伝統を伝え、未来の後輩たちにつなげていきたい!
そう切に思いました。
母校の呼び声 Kitakou Calling
「...私の大切な学び舎である。早く来いと呼んでいるように思える...」
読み返すたびに心に響きます。
人は否応なく老いてゆくけれど、心のこもった言葉は永遠にみずみずしく、何年たっても古くはならないということがわかります。
1927年の卒業生が感じた母校への思い、それが88年の時を超えて今に伝わり、2015年の私たちの心に響く。これこそ、母校長浜北高の伝統の力です。
さらに未来へ、母校の歴史と伝統を伝え、未来の後輩たちにつなげていきたい!
そう切に思いました。
母校の呼び声 Kitakou Calling
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